ついに、奥多摩に行ってきました。
正確には、東京都と埼玉県の境であるところの、
日原から浦山大日堂です。
山を越え、浦山のキャンプ場で泊まり、
翌日は、浦山口駅まで歩きます。
始めは、暗い植林帯の急斜面をつづら折りに登って行くのですが、
このとき既に、かかとが靴擦れしていました。
靴の選択を間違えました。
履きなれた靴ではあったのですが、
これほどの急斜面を歩くのは初めてでした。
つづら折りは終わって、やや斜面は緩やかになりましたが、
靴擦れのために、
とんでもなくゆっくりしたペースで歩いて行きます。
途中から、歩き方のコツを覚えて、
少しは、速く歩けるようになりました。
一杯水避難小屋です。
山頂近くまで、やってきました。
ここまで、登山地図の所要時間と、ぴったり同じ2時間半でした。
あんなに亀のような歩きでこれなら、残りも何とかなりそうな気がしてきました。
一杯水避難小屋で休憩した事で、
再び靴擦れの痛みを意識するようになり、
さらには、急に疲労感も感じてきました。
このあと、違う道で避難小屋まで戻るのですが、
途中急な下り坂もあり、
一気に足にきている事を感じます。
小屋に戻ったときには、
先ほどは、行けそうと思っていたのに、
この先の道のりが、不安になってきました。
というのも、このあと下山するルートは、
登山地図では、点線になっており、道が悪いと書いてあるのです。
そもそも体力のない僕が、行っていい場所なのか、
しかし、他に適当なルートもないので、仕方ないのですが。
最悪、ここの避難小屋に一泊する事も可能、と思っていたはずですが、
さすがにまだ12時過ぎでしたし、
しかもこのあと判明するのですが、近くの水場は、枯れていましたので、
結局不可能でした。
さて、とりあえず行くしかないと、出発。
まずは下山道への分岐まで、一時間ほど歩きます。
ここが、下山道の起点なのですが、
このあと、全く写真がありません。
始めは少し明るいブナ林が続くのですが、すぐに暗い杉林になります。
あまり写真を撮りたい風景もなかった、というのもありますが、
やはり一番の原因は、精神的余裕がなかったからでしょう。
かかとの靴擦れに加えて、
下り特有の、つま先の当りも加わって、もちろん筋力も、やがて限界を迎えます。
しかも道が分かりにくい場所が時々現れます。
道が悪いというよりは、分かりにくいという事で点線だったのだと思います。
それでも比較的楽な場所もあって、
限界を超えた足で、歩行を精神世界のものとして脳が扱い始めたおかげで、
いわば歩く機械のように、延々と続く変態植林景観の中を、
渡って行きました。
ついに僕は、
最大の道迷いポイントに到着しました。
それまでも、赤い目印が見つからず、少しこっちに行って戻り違う方に行って戻り、ようやく見つける、
という事がありましたが、
今回のは、
本当に、
見つからない。
基本ずっと尾根沿いの下山道なので、尾根にそって登ってみるも、どう考えても危険すぎる場所に出て、引き返し、あちらこちら探しても、全く目印が見つからない。
どうも、その辺りは、倒木が多く、何かの自然災害で荒れているように見えた。
目印は消えてしまっているのでは、とも考えられた。
大きな岩にようやく赤いペイントを見つけるも、
その先にはいっこうに目印も、道らしきものも見当たらない。
もう一度尾根に登ってみたり、最後の目印の地点まで戻ったり、
そして、いよいよ不安になってくる。
時刻は3時過ぎだったが、
少しだけ薄暗くなっている。
日の光が、傾いた事でオレンジ色を帯びて、
枯れ葉の日に透けた色が、驚くほど赤い、
あ、目印だ、と思って歩いて行くと、枯れ葉であったりする。
電波は圏外。
テントは、ある。
ここで?
しかし水が足りないし、明日になれば道が分かるかどうかも分からない。
一息ついて、
荷物を降ろし、
水を飲み、
腰に手を当て、ため息をつき、
もう一度最後の目印から道があってもおかしくなさそうに思えた方向へとりあえず行ってみる事にしました。
道があり、やがて目印の赤いテープが見えてきました。
体力的にはこのあと更なる限界点を超えて行くのですが、
ひとまず遭難は免れたようです。
そこからの道はとても分かりやすく、
坂もきつくはありませんでした。
しばらく行くと、開けていそうな場所に出そうな、光が見えてきました。
そこは、鉄塔でした。
文明の気配がしてきました。
ここからは、さらにもう三つくらいの鉄塔を経て徐々に下っていくのですが、
鉄塔の保守の為の道でもあるのでしょうから、
道はしっかりしています。迷う心配はなさそうです。
それにしても、足が限界で、
途中、気持ちよく開けた鉄塔のところで、テントを張ってしまいたい気にもなりましたが、
やはり水がないのと、もうゴールまでそんなに遠くないはずなので、通り過ぎます。
四つ目くらいの鉄塔を過ぎると、いよいよ最後の下り、
というような、急な坂道になるのですが、
ここら辺までくると、道に砂利が混じるようになり、滑りやすく、
よけいに神経も、体力も使います。
とっくに限界のさらに先まで超えている身には、非常にきつく、
つま先の痛みも増していきました。
これはもう、確実に、爪の部分が内出血を起こし、
数ヶ月かかって爪が伸びて行くのに従って黒い爪がなくなっていくやつだ、と思いました。
最後はもう、足がガクガクみたいな状態でしたが、
16時半頃、どうにか大日堂に、辿り着きました。
これ以上遅くなれば、おそらく山の中ではもう、暗くなっていたでしょう。
このあと、少し歩いて、キャンプ場にテントを張り、もう一歩も歩けないので、
そのまま横になり、やがて眠りました。
2日目は、たいしたことは起こらないのですが、
長くなったので、ここでひとまず。
やがて、自然林のエリアに入ってきました。
それにしても、山の方にくると、全く、
とんでもない自然破壊をしてくれたものだな、と思わずにはいられません。
山肌を埋め尽くす植林された木々を見ると、
この、とてつもない労力、それこそ頭がおかしいとしか思えないような、
執念で、よくもやってくれたものだ、と
驚嘆すると同時に、
この山々が、全て自然林だったら、どんな風景なのだろうと、
思ってしまいます。
少しは、速く歩けるようになりました。
一杯水避難小屋です。
山頂近くまで、やってきました。
ここまで、登山地図の所要時間と、ぴったり同じ2時間半でした。
あんなに亀のような歩きでこれなら、残りも何とかなりそうな気がしてきました。
山頂の、三角点です、
画像がだいぶ明るいですが、実際こんな感じでした。
日も射し、明るい山頂です。
一杯水避難小屋で休憩した事で、
再び靴擦れの痛みを意識するようになり、
さらには、急に疲労感も感じてきました。
このあと、違う道で避難小屋まで戻るのですが、
途中急な下り坂もあり、
一気に足にきている事を感じます。
小屋に戻ったときには、
先ほどは、行けそうと思っていたのに、
この先の道のりが、不安になってきました。
というのも、このあと下山するルートは、
登山地図では、点線になっており、道が悪いと書いてあるのです。
そもそも体力のない僕が、行っていい場所なのか、
しかし、他に適当なルートもないので、仕方ないのですが。
最悪、ここの避難小屋に一泊する事も可能、と思っていたはずですが、
さすがにまだ12時過ぎでしたし、
しかもこのあと判明するのですが、近くの水場は、枯れていましたので、
結局不可能でした。
さて、とりあえず行くしかないと、出発。
まずは下山道への分岐まで、一時間ほど歩きます。
ここが、下山道の起点なのですが、
このあと、全く写真がありません。
始めは少し明るいブナ林が続くのですが、すぐに暗い杉林になります。
あまり写真を撮りたい風景もなかった、というのもありますが、
やはり一番の原因は、精神的余裕がなかったからでしょう。
かかとの靴擦れに加えて、
下り特有の、つま先の当りも加わって、もちろん筋力も、やがて限界を迎えます。
しかも道が分かりにくい場所が時々現れます。
道が悪いというよりは、分かりにくいという事で点線だったのだと思います。
それでも比較的楽な場所もあって、
限界を超えた足で、歩行を精神世界のものとして脳が扱い始めたおかげで、
いわば歩く機械のように、延々と続く変態植林景観の中を、
渡って行きました。
ついに僕は、
最大の道迷いポイントに到着しました。
それまでも、赤い目印が見つからず、少しこっちに行って戻り違う方に行って戻り、ようやく見つける、
という事がありましたが、
今回のは、
本当に、
見つからない。
基本ずっと尾根沿いの下山道なので、尾根にそって登ってみるも、どう考えても危険すぎる場所に出て、引き返し、あちらこちら探しても、全く目印が見つからない。
どうも、その辺りは、倒木が多く、何かの自然災害で荒れているように見えた。
目印は消えてしまっているのでは、とも考えられた。
大きな岩にようやく赤いペイントを見つけるも、
その先にはいっこうに目印も、道らしきものも見当たらない。
もう一度尾根に登ってみたり、最後の目印の地点まで戻ったり、
そして、いよいよ不安になってくる。
時刻は3時過ぎだったが、
少しだけ薄暗くなっている。
日の光が、傾いた事でオレンジ色を帯びて、
枯れ葉の日に透けた色が、驚くほど赤い、
あ、目印だ、と思って歩いて行くと、枯れ葉であったりする。
電波は圏外。
テントは、ある。
ここで?
しかし水が足りないし、明日になれば道が分かるかどうかも分からない。
一息ついて、
荷物を降ろし、
水を飲み、
腰に手を当て、ため息をつき、
もう一度最後の目印から道があってもおかしくなさそうに思えた方向へとりあえず行ってみる事にしました。
道があり、やがて目印の赤いテープが見えてきました。
体力的にはこのあと更なる限界点を超えて行くのですが、
ひとまず遭難は免れたようです。
そこからの道はとても分かりやすく、
坂もきつくはありませんでした。
しばらく行くと、開けていそうな場所に出そうな、光が見えてきました。
そこは、鉄塔でした。
文明の気配がしてきました。
ここからは、さらにもう三つくらいの鉄塔を経て徐々に下っていくのですが、
鉄塔の保守の為の道でもあるのでしょうから、
道はしっかりしています。迷う心配はなさそうです。
それにしても、足が限界で、
途中、気持ちよく開けた鉄塔のところで、テントを張ってしまいたい気にもなりましたが、
やはり水がないのと、もうゴールまでそんなに遠くないはずなので、通り過ぎます。
四つ目くらいの鉄塔を過ぎると、いよいよ最後の下り、
というような、急な坂道になるのですが、
ここら辺までくると、道に砂利が混じるようになり、滑りやすく、
よけいに神経も、体力も使います。
とっくに限界のさらに先まで超えている身には、非常にきつく、
つま先の痛みも増していきました。
これはもう、確実に、爪の部分が内出血を起こし、
数ヶ月かかって爪が伸びて行くのに従って黒い爪がなくなっていくやつだ、と思いました。
最後はもう、足がガクガクみたいな状態でしたが、
16時半頃、どうにか大日堂に、辿り着きました。
これ以上遅くなれば、おそらく山の中ではもう、暗くなっていたでしょう。
このあと、少し歩いて、キャンプ場にテントを張り、もう一歩も歩けないので、
そのまま横になり、やがて眠りました。
2日目は、たいしたことは起こらないのですが、
長くなったので、ここでひとまず。